上平 明(18回生 函館在住)
函館には桜の名所が何カ所かありますが、中でも有名なのが函館公園と五稜郭公園です。毎年4月末から5月初めにかけて、両公園とも桜と梅が同時に開花し、両方を一度に楽しむことができ、地元民をはじめ、大勢の人々が訪れ花見を楽しんでいます。両公園の桜には全て番号が付けられ、樹木医さんにより丁寧に管理されています。今回は両公園にどのようにして桜が移植されたのかを中心に紹介いたします。
◆函館公園
函館公園は、明治初期に日本で初めて市民によって造成された市民参加公園で、現在、園内にはソメイヨシノ、八重桜を合わせて約400本の桜の木があり、毎春には見事な花を咲かせ市民を楽しませてくれています。
この桜ですが、造園当初から植えられたものではなく、明治期の一人の実業家の熱意によって移植されたものです。

公園の裏門近くに逸見小右衛門(へんみこえもん)の功績を称える「桜の碑」(写真1)が建立されています。長野県出身の小右衛門は明治元年21歳で函館にやってくるとお菓子の製造・小売りから始めてのちに砂糖や麦粉の売買で財を成しました。公益事業にも志を持っていた彼は、函館の街が発展していくなかで、燃料の薪などを確保するため樹木が次々と伐採されていた函館山を見て「函館山を吉野山に、亀田川を隅田川のような桜の名所にしよう」という壮大な夢を持ち、明治22年から5年間私財を投じて函館山や亀田川堤防、または街中に約6万本の桜や梅の植樹を進めました。函館公園では自ら鋤鍬をもって桜や梅合わせて5,200株以上を植樹しました。
これらが成長して花見ができるようになったのは、明治末期からです。電飾による夜桜は大正3年から本格的になり、大正5年には詩人宮澤賢治が来函し、景気のよかった頃の函館の花見の賑わいを「函館港春夜光景」で詠んでいます。残念なことに、これらの樹木のほとんどは昭和初期までの数度の大火で焼失してしまい、現在園内にあるソメイヨシノの多くは昭和20年以降に植えられたものですが、樹齢130年を超す古木が3本残っており、小右衛門が植えたものと考えられています。旧図書館近くには一本の枝に白とピンクの花、そして「絞りの花」を咲かせる梅の木もあり、必見です。
桜の季節には園内では多くの露店が出店し(写真3)、臨時駐車場として函館公園近くの住吉公園グラウンドも開放されます。なお、前述の「桜の碑」は「コンクリートの滑り台あと」の隣に建立されており、その隣には北海道初の通貨鋳造場所にちなみ「箱館通貨銭座の碑」が建立されています。



◆五稜郭公園
五稜郭は明治維新後、陸軍の練兵場として使用され、一般市民は立ち入ることのできない場所でしたが、大正時代に入り、陸軍練兵場としての役割を終え、函館市民の請願を受け大正3年(1914年)に公園として一般開放されました。 開放されたその年に函館毎日新聞社が発刊1万号を記念し、まず7,000本余りを移植し、10年かけて約1万本の桜の木を寄贈し植樹しました。この1万本移植を記念し「一万号記念櫻樹碑」が園内の南側、一の橋、二の橋を通りぬけたあと、右に進んだ奥に建立されています。
その後、桜の木にとって1万本はあまりに過密状態であったことから、自然淘汰され、現在ソメイヨシノを中心に約1,515本の桜が園内に残っています。
土塁に咲く桜はお堀の水面に映え、終盤には花びらが水面を覆いつくす「桜の花いかだ」を楽しむことができます。函館の桜開花の標準木は園内304番桜で裏門橋近くにあります。
五稜郭は国の特別史跡に指定(全国63カ所)されており、基本的に現状変更ができません。そのため今ある桜が枯れてしまうと、そのあとに新たな桜を植えることができないことから、樹木医さんにより丁寧に管理され、一見枯れてしまったような桜でも、その不定根770番桜(注)を大事に育てています。
道民にとって花見にはジンギスカンです。五稜郭ではエリアを限定し、コンロを持ち込んでジンギスカンやバーベキューを楽しむことができ、毎シーズン大勢の市民が楽しんでいます。
注:枝や幹などから本来の「定位置」ではないところから出た根のことで、不朽部や損傷部付近で発根するもの。

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