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函館住吉共同墓地に眠る偉大な先輩 馬場みつさん(高女13回生)

              上平 明 (函館在住 18回生)

 

五稜郭公園を中心に市内の観光ボランティアガイドとして内外のお客様を案内していますが、函館や道南に関する新たな知識や情報の入手と蓄積は欠かすことができません。その一環として、様々な講演会やイベントなどへ可能な限り参加していますが、なかでも"箱館歴史散歩の会"を主宰する中尾仁彦氏が案内する「函館ぶら探訪」には毎回のように参加し、郷土の歴史について学んでいます。2023年10月15日(日)の函館ぶら探訪「住吉共同墓地の墓・立待岬の碑巡り」では、思いがけず郷土に貢献した偉大な先輩の存在を知ることができたのでご紹介します。 

 

立待岬の近くにある住吉共同墓地は、明治初年に船見町墓地(外国人墓地近く)が飽和状態になったことから新たな墓地として設けられたところです。今では、石川啄木一族など著名人の墓があることで有名ですが、当時は辺鄙な場所で市民の利用がなかなか進まなかったといいます。その墓地に西高の前身である函館高等女学校(高女)第13回生(大正10年卒業)の馬場みつさんの墓があります。

 

みつさんは高女を卒業後、東京医学専門学校(現東京女子医科大学)に進学。卒業後は東京都衛生局や都内の病院勤務を経て、1975年(昭和50)に文京区向丘に「追分眼科病院」を開業し、医師の仕事に粉骨を注ぎました。生涯、独身を通し、2003年(平成15)に99歳で亡くなっています。 

▲立待岬   
▲立待岬   
▲函館市営住吉町共同墓地 写真提供/はこだてフィルムコミッション
▲函館市営住吉町共同墓地 写真提供/はこだてフィルムコミッション

▲函館高等女学校の女生徒たち
▲函館高等女学校の女生徒たち

 

彼女は「私が今日あるのは亡父と函館のお陰で医師になれて、一生懸命仕事に邁進できました」と古里への思いをつづっています。そのお礼にと遺言によって、遺産の現金2億7千万円と都内の土地建物は函館市に寄贈されました。3億円以上の寄付は函館市で初めてのことで、市は「馬場みつ基金」を創設して福祉事業などに今でも役立ています。東京支部の会員には、文京区にあった追分眼科病院で馬場医師にお世話になった人がいるのではないでしょうか。

 

「馬場家之墓」は、1999年(平成11)にみつが再建したもので、墓の裏面に「みつ」のほか「民則(たみのり)」「修」の名が彫られています。馬場民則は彼女の父で、箱館開港後に徳川幕府が蝦夷地の開拓と警備にあたる者を募集し、それに応じて七重(現七飯町)に入植したのが八王子千人同心(注)ですが、民則はその一人でした。民則は、函館ハリストス正教会司祭や東京ニコライ堂司祭ニコライからロシア語などを学び、のちに法律も学んで代言人(現在の弁護士)となり、函館で活躍しました。さらに、弁護士会長、函館区議などを経て、明治31年に同志とともに函館毎日新聞社を興しています。

 

また、馬場修は、民則の三男で日本歯科大学を卒業後渡米し、デジタルカレッジで学位を取得しています。東京で歯科医として開業したものの6年で廃業し、少年時代から興味のあった考古学に専念。択捉、北千島、樺太で調査を続け、集めた資料は「馬場コレクション」として重要有形民俗文化財に指定され、函館市北方民族資料館に展示されています。

 

:八王子千人同心とは、 幕府直轄領である武蔵国多摩郡八王子(現・東京都八王子市)に配置された譜代旗本およびその配下の譜代武士(譜代同心)のことで慶応4年に解散した。